2023年7月30日(聖霊降臨節第10主日) 説教要約

説教題「主なる神に生きる」

聖書:ルカによる福音書 第9章51〜62節

イエスと弟子たちとの間、そこには幅員の捉え方に「ズレ」があることがわかります。今日の聖句でも、福音がサマリアで受け入れられないとなると、弟子たちはソドムとゴモラの物語のように「天から火を降らせ、滅ぼしてしまいましょうか」と言います。するとイエスは彼らを戒めます。さらに、宣教者の姿勢を語ると、「イエスに従う」と誓いつつも「家族に挨拶に」と家族を気遣う弟子があります。イエスは弟子たちの行動に対し、「鋤に手をかけてから、後ろを顧みる者は、神の国に相応しくない」と言います。

イエスの福音宣教は、弟子たちと友好的に交わりがあったものの、自身は終始孤独の中にありました。神の福音を告げるという使命、その働きのために自らを退避させる場もなく、ただ社会の前面に立たされる。しかし、弟子たちには自らを逃避させる場、家族や友があると、その違いを語ります。

このイエスの姿勢と弟子の言葉との違いは何なのか、考えさせられます。神の前に生きる者、その神との向き合い方なのか、それとも一人一人の在り様なのか、ヨブは「裸で母の胎を出た。裸でそこへ帰ろう」と言いますが、この神の前に立つ人間の宿命を神の民は誰もが受け止め、この現実の前に神に救いを求め、こころの平和を願いました。

イエスは「一人で死ぬ」現実を前に、神の前に立つ者として、「どう生き方をするか」を問いかける、それが今日の主題ではないでしょうか。イエスは「鋤に手をかけてから、後ろを顧みる者は神の国に相応しくない」と言いますが、今の私たちはこのような生き方をしながら、神への信仰の歩みをしているのが現実。もう少し冷静になって、今日のイエスの言葉を考える、大事だと思います。

主任担当教師 井上 勇一