2023年10月1日(聖霊降臨節第19主日) 説教要約
説教題「清貧に生きる」
聖書:ルカによる福音書 第16章19〜31節
「格差」という言葉があります。イエスはこの「社会格差」と向き合って福音を明らかにしたと言えます。よく福音書に表される言葉に「デナリ」と「タラント」という単位があります。一日の労働者の賃金で表わす「デナリ」や、商売をする者の単位で示されるのが「タラント」であります。この単位が示すごとく、庶民と富む者との違いは計り知れない格差をうかがい知るのです。
イエスは、この格差の違いを「譬え」として、神の前に生きる者の姿勢を問うのです。今日の聖書は「貧しいラザロと金持ち」の譬えであります。ラザロは貧しく、デキモノだらけ、金持ちの門前に座り、その食卓から落ちる物で腹を見たいしたいと願っていました。一方、金持ちは、紫の衣に柔らかな麻布を着て、贅沢三昧の生活をしていました。その二人が死にます。死んだラザロは、天使に導かれアブラハムのそばに連れていかれ、祝福に与かります。その一方金持ちは、黄泉の世界で目覚めるのです。
この二人の違いを「生きている間、金持ちは良いものをもらい、ラザロは悪いものをもらった。所以に、お前は苦しみ、ラザロは慰められるのだ」とアブラハムの言葉をもって語るのです。そしてモーセや預言者に従わなかったからと金持ちの生き方を断罪するのです。
イエスラエルは、神の民として「一つなる民」を求めてきました。しかし現実には社会は大きな格差を生み、一方は富み、また一方は生きるにも厳しい現実がありました。富む者は貧しい者を保護し、共に神の民として生きる務めを負っていましたが、「神の民」として生きることができない現実がありました。ラザロの姿は神の民にして貧しい民衆の現実を表わす姿として捉えることができるのです。
主任担当教師 井上 勇一