2024年1月7日(降誕節第2主日) 説教要約
説教題「イエスの洗礼」
聖書:ヨハネによる福音書 第1章29〜34節
「イエスの洗礼」という主題でありますが、共観福音書にはイエスがヨハネから洗礼を受けることが描かれています。ヨハネでは洗礼を受けたかどうか記述はありません。ヨハネによる福音書では「神の子羊」という小題となっています。ヨハネによる福音書の場合、イエスは洗礼を受けたかどうか、という課題もありますが、「神の子羊」と表す捉え方が何を語るのか、考えます。
共観福音書は「人の子」と「神の子羊」という二つの性格を持ったイエスが語られます。それに対してヨハネによる福音書は「神の子」が強調されています。それはヨハネによる福音書第1章14節「言は肉となってわたしたちの間に宿られた。」との聖句が示しています。この神の子イエスが「神の子羊」としてヨハネを通して証しされ、「わたしは、この方がイスラエルに現れるために、水でバプテスマを授けた」と言います。そして神の子羊は「聖霊によってバプテスマを授ける人である」と、自らとの違いを明らかにします。
推測は、ヨハネによる福音書において「イエスはバプテスマを受けたのか」であります。ただ、預言者ヨハネは、「自分の方へ来られるイエスを見て、『世の罪を取り除く神の子羊だ』」と証しします。この子羊の働きを考えると、「人の罪は神に捧げられる犠牲の子羊によって、罪が贖われる」と信じて供犠がありました。同時に、「救いの考え方」には、罪の元に在る人がイエスが復活したように、その復活の恵みを与かることが求められます。すると、ヨハネによる福音書では「言が肉となる」こと、それが自らを罪の元に置く、となるのが必然といえます。
イエスは、「神の子羊」である故に、人の子として「罪の元」に置き、預言者ヨハネからバプテスマを受けました。その証しが、「わたしはこの方こそ、神の子である」と、それを見て、証しすると告白するのであります。
主任担当教師 井上 勇一