2023年6月4日(聖霊降臨節第2主日) 説教要約
説教題「神を知り、神を見る」
聖書:ルカによる福音書 第10章17〜24節
イエスは弟子たち72人を2人ずつに分けて、福音宣教をさせます。イエスの宣教は様々な場でなされました。ただ、受ける相手である人間には、一つの前提をもって宣教がされます。「狼の群れに子羊を送り込む」場、「わたしを拒む者は拒む」場、それが宣教の世界だと言います。神を受け入れる社会という前提であっても、現実にはわたしを拒む者は遣わされた方をも拒むとイエスは言うのです。宣教の方法は慎重に用心深くすることを勧めます。
その72人の弟子たちが宣教を終えてイエスの元へ帰ってきます。「宣教の様子を喜びをもって語る」弟子たち、ただ、宣教が上手く行ったのは、イエスの配慮があったことを知らされ、宣教が上手く行ったことより、「自分の名が天に刻まれたことを喜べ」と諭すのです。
ただ、言葉とは反対に、イエスの喜びようは他の場面では表しようのない「満面の喜び」に満たされます。「聖霊によって喜びあふれて」とあります。
何故に、聖霊に満たされて喜びあふれたのでしょうか。イエスの生涯には二つの目的がありました。福音をこの世に明らかにすること、もう一つは福音の信ずる群れを作ること。弟子を導き、福音の担い手を作ること、相手もあり、難儀します。弟子を集め、共同の生活をし、共に福音を伝え、弟子たちを宣教に派遣する。弟子たちもイエスに応え、「あなたはメシアです」と告白する。ただ、イエスの十字架を前に弟子たちは消滅しそうになります。それがイエスの復活によって再び集められ、宣教の担い手になっていくのです。
イエスの喜びは、福音の担い手になることを受け止め、弟子たちが「神の恵みを枠組みの中に捉えられた」ことへの喜びではなかったのか、そう見るのであります。
主任担当教師 井上 勇一