2023年3月12日(受難節第3主日) 説教要約

説教題「告白と約束」

聖書:ルカによる福音書 第9章18〜27節

コヘレトは「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある」と言います。「生まれる時、死ぬ時・・・」と続きますが、彼は「定められた時」の営みが人の力でどうすることもできず、ただ神の計画された時の中に人の宿命があり、「空しさ」を強調します。

この「定められた時」は、一個の被造物から被造物の世界全体に係わる中で生まれる「時」もあることを知らされます。それは神と人とが共感する世界、信仰の世界であります。コヘレトは「信ずる時」は言わず、人は神の被造物であるから人は神に信従する関係にあります。ただ今日の聖書のように信仰の営みにおける「告白と予告」という共感、応答の中で「時」があると言います。

共感と応答というイエスと私たちの関係からイエスの生涯を見ると、「イエスに招かれる」と「応ずる弟子たち」、「奇跡を受ける」と「信従する弟子たち」が有るように、供応する関係ができます。いわばイエスと人との関係には「共感」という応答関係で成り立つのであります。イエスが示す「共感しよう」とする業、「告白」に対する「予告」、「晩餐」に対する「約束」、イエスは「今か、今か」と待つようにして「告白」を宣べ、「約束」を宣べる。そして「信従」を決意する弟子に、イエスは「十字架と復活」とを持って応えるのであります。

この相互に応答しあう「連続する時」をもって、神と人との関係が成り立っているのです。この関係は、信頼関係に基づくと考えられます。特に「神からの信頼関係」と言えます。ここで一つの問いが生まれます。それは「神は人をなぜに信頼するのか」という問いであります。ヨハネによる福音書第17章第4節「神の栄光を表す」はそのヒントではないでしょうか。

主任担当教師 井上 勇一