2023年1月22日(降誕節第5主日) 説教要約

説教題「ナザレの人イエス」

聖書:ルカによる福音書 第4章16〜30節

救い主誕生が予告されたベツレヘムでイエスは誕生します。そして、ガリラヤの片田舎ナザレで生きたイエス。聖書はイエスの系図を示してイエスが約束された救い主であることを強調します。ただ、「ナザレから約束の方が生まれるはずはない」とイスラエルの人たちは言います。大きなズレがあります。

イエスを「ナザレ人イエス」と呼びますが、救い主を何故にナザレ人と呼び、神の福音の使者として宣教し、最後は十字架の刑を受けます。華やかさはなく、素朴に神の福音、その使者としての務めを果たします。

ルカはこのような宣教をするイエスを「貧しい者」との共感と呼びます。貧しい生活環境で育ち、貧しい者と共に歩み、貧しい者が福音に与かるべきと語ります。

この福音を前に人は歓喜し、福音を受け入れるのですが、では、このようにして自らを貧しくし、福音を語ります。「貧しい人に福音を告げるため、主は油を注がれた」と「捕われた人を解放し、目の見えないものを回復させ、抑圧された者を自由にするため」と福音の業を示します。このイエスの行為は、私たちにとっては「束縛からの解放」と受け止めることができますが、イエスから見ると、それは神の前に生きる人の在り様、本来の姿ではないかと捉えられます。すると、イエスは、神の福音をこの世に示したのは、私たち人が本来の姿を回復する為にあったと言えます。

私たちは、神の前にある人の在り方を改めて問い正していくことが求められています。社会の在り様も、そして神の創造した世界をも、と思うのです。

主任担当教師 井上 勇一