12月11日(待降節第2主日) 説教要約
説教題「ヨハネとイエス」
聖書:ルカによる福音書 第1章5〜25節
ルカによる福音書第1章には2つの受胎告知があります。預言者ヨハネと救い主イエスの告知です。神の使いが告知する状況が違います。ヨハネの場合は、老いたザカリヤとエリザベツであり、イエスの場合は、若いマリア、ヨゼフへです。ただ、神の業としてエリザベツが、マリアが身篭ります。
聖書には、老いた者が神の子を宿すことが起こります。一つの例がアブラハムとサラとの間にイサクの誕生の場合がそれです。それと同時に老いたザカリヤとエリザベツとの間に預言者ヨハネが生まれますが、預言者ヨハネから見ると、神の召命が生まれる前から母エリザベツを通してなされ、それは丁度「エレミヤの召命」と同じ状況が語られます。そして聖書は、一つ一つの召命を神の意思を与えられた使命に沿って明らかにします。ヨハネの場合は、「イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせ、準備のできた民を主の為に用意する」とあります。ここから、「道備え」としてヨハネの預言者としての働きがありました。
ルカによる福音書の特徴の一つは、イエスの捉え方であります。イエスを「人の子」として描き、マリアを通して誕生し、自らを罪の元におき、神の召命を受けて「神の福音」をこの世に示すのであります。イエスの召命記事はルカによる福音書4:18、19に示されています。「人を解放し、人に生きる力を与え、世にある束縛から人を自由にする」、そのためにイエスは召命を受け、福音を示したとします。
では、ヨハネは預言者として召命を受け、イエスは神の福音をこの世に示すものとして立てられます。この違いは何なのでしょうか、それが神の召命と言うしかありません。神の前に生きる私たち、それぞれに召命が与えられ、その召命を負って生きています。そう受け止めたいです。
主任担当教師 井上 勇一