10月2日(聖霊降臨節第18主日) 説教要約

説教題「過ぎ越す」

聖書:マルコによる福音書 第14章10〜26節

イスラエルでは、過ぎ越しの祭りを今も行っています。神はモーセにこの祭りをもって正月とせよと命じ、解放の時を新しい年の初めとします。過ぎ越しは、「神の裁きを素通り」とさせることですが、イスラエルの民にとって「神の救い」でもありました。聖書を読むと「初子を打った」とあり、イスラエルの民は救われ、エジプトの民、支配者は長子が殺され、国家の存亡の危機に陥ります。この出来事をもって、民は解放されるのです。

この過ぎ越しにおいて、「傷のない1才の子羊が供犠として捧げられ、その血が家の鴨居に塗られ、その肉をその家の者が食べる。この行為によって、災いが過ぎ越し、救いがもたらされる」のであります。

今日の聖書は、この過ぎ越し祭の時の出来事です。イエスは弟子の過ぎ越しの食事を用意させます。食事の時、イエスはパンをとり、裂き、「これは、わたしの体である」と言います。さらに杯をとり、感謝の祈りを捧げ、「これは、多くの人のために流される契約の血である」と言います。イエスは、神の子羊として、自らの体を捧げ、流される血を捧げることを明らかにします。最後の晩餐は、自らが神の子羊として捧げられる、宣言であります。この後、イエスは十字架の死を遂げるのであります。

過ぎ越しは、神の命令から始まり、神の子自らが神の子羊として捧げられていきます。イエスは、「多くの人のために流すわたしの血」と言い、「契約の血」であると言います。この契約の血には神の意志の表れと言われ、神を求め、イエスを求める者に約束される命の恵みと言われます。このイエスの意思をどう受け止めるのか、一人一人に求められる決断と言えます。

主任担当教師 井上 勇一