8月28日(聖霊降臨節第13主日) 説教要約

説教題「こころ開かれる時」

聖書:マルコによる福音書 第10章46〜50節

今日の聖句は、盲人バルティマイが癒される場面です。彼がイエスに願う「見えるようになることです。」という必死に願う姿に、イエスは奇跡をもって応え、見えるようにします。そして、バルティマイはイエスの後に従っていくのです。

バルティマイの願い「見えるようになりたい」は、今まで自らが経験した苦難の度合いに比して写し出されます。見えるようになったバルティマイは、イエスの後に従ったとあります。この物語は一つの奇跡物語を超えて、神の救いに与かろうとする人の姿を描いた物語と見ることができます。

出エジプトの物語は、イスラエルを神の民とする「解放」の物語であります。ただ、物語は喜びとか、「笑う」という言葉はなく、飢えを前に「渇き」「飢える」民の姿、そして神に従うか否かを問われ、神の民に仕立てられていく姿が描かれています。解放された喜びはなく、詩篇の記者がいう「わたしたちの生涯は御怒りに消え去り、人生はため息のように消え去ると。そして、得るところは労苦と災いに過ぎない」と言います。ましてや、バルティマイの経験は、神の前に「神などいない」と嘆き、訴えるそんな民の姿を垣間見ることができるのです。

イエスは「あなたは真理を知り、真理はあなたを自由にする」と言います。バルティマイは神に希望を置き続けました。そしてイエスが通り過ぎることを知った彼は、必死にイエスを求め続け、そのバルティマイを「あなたの信仰があなたを救った」とイエスは祝福したのであります。ただ、バルティマイはその後もイエスの後に救いの確信を求めていくでのです(ヨハネによる福音書6章39〜40節)。

私たちは、この世という枠組みで「自由」を求めるのではなく、「神の国」を求める中で「自由」である自分を知るのです。この真理を大切にして歩みたいですね。

主任担当教師 井上 勇一