7月17日(聖霊降臨節第7主日) 説教要約
説教題「パン種」
聖書:マルコによる福音書 第8章14〜21節
パン種を通して、イエスの福音が語られます。「パン種を入れないパン」は神に捧げれるパンとしてつくられ、日常的にはパン種を入れたパンを食すのが一般的でその方が美味い。ここではパリサイ派のパン種、ヘロデのパン種、そしてイエスのパン種が比較され語られます。
申命記第8章2〜5節の言葉が気になります。イスラエルの民を砂漠に出すこと、一つには民を神の民にするためにエジプトの縄目から解放すること。もう一つは、神の民として試練を与え訓練することにあったといいます。聖書は、私たちがこの世のパンと神の口から出る言葉によって生きているといいますが、この世のパンに魅了されてしまう人間の在り方があることを知ります。出エジプトした民が、飢え渇く度に「エジプトの時代は良かった」と振り返るのです。
私たちはいろんなパン種でもって自らを作り上げていきます。それはそれは生涯にわたってでありましょうが、ここで言われる「ヘロデのパン種」、「パリサイ派のパン種」はどんな意味を持つのでありましょうか。「ヘロデ」は自らの繁栄を求め続けたパン種と言え、「パリサイ派」は律法を厳格に守ることで、人を規則に閉じ込め、神に自由に祈ることを阻害するパン種と化してしまうと、言えるでしょう。
では、イエスの福音はどんなパン種でしょうか。イエスはいいます「わたしの福音に留まるならば、あなたは真理を知り、真理はあなたを自由にする」と。そして心を尽くし「神を愛し、隣人を愛せよ」と言います。この福音に生きる時、私たちには平和が与えられ、神の前に祈るわたしがいるのではないでしょうか。
イエスのパン種は、わたしに希望を与え、生きる力となり、神と共にいるという安らぎに至るのです。
主任担当教師 井上 勇一