7月10日(聖霊降臨節第6主日) 説教要約

説教題「こころを覗く」

聖書:マルコによる福音書 第6章14〜29節

預言者ヨハネの死は、不慮な事件でありました。領主ヘロデが兄弟の妻へロディアと結婚したことに、ヨハネは律法に即していないと批判したことに依ったのです。イザヤはこんな預言者の生涯を「神に従ったあの人は失われたが、誰一人こころにかけなかった。神の慈しみに生きる人々が取りさられても気付くものはいない。」と。

ただ、神の前に正しく生きた「神の人」をエゼキエルはこう評価しています。「人の子よ、自分の足で立て」、そして「彼らが聞き入れようと、拒もうと、わたしの言葉を語れ」と。いわば、ヨハネは神の人として生き、その生涯を閉じました。ただヨハネには神の召命を受けて、自分の足で立ち、語り続ける使命がありました。「主の道を備え」、「主の元に立ち帰らせること」でありました。そのために悔い改め運動を展開し、水によるバプテスマを受けるよう勧めたのであります。

ヨハネによる福音書でイエスは「わたしの言葉に留まるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である」(8:31)と言い、「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」(8:32)と言いますが、預言者ヨハネは、神の前に自分の足で立つ中で、神の意志という真理を知り、自由となり、自らの召命である「主の道を備え、民を主のもとに立ち帰らす」働きをしたことがわかります。預言者ヨハネは「規則によって神の前に立つのではなく、信仰によって神の前に立つ」との信仰姿勢を示したのであります。

ヨハネの死は神の召命の途上であったが、しかし、この世に明らかにしたヨハネの働きは、道備えと主のもとに立ち帰らすことが、イエスの働きにつながるという役割を果たすのです。いわば、自らに与えられた召命を忠実に果たしたとも言えるのです。

主任担当教師 井上 勇一