6月19日(聖霊降臨節第3主日) 説教要約

説教題「イエスが宣教をする」

聖書:マルコによる福音書 第1章29〜39節

「神の国は近づいた。」と宣言をし、イエスは福音宣教を開始します。神の都エルサレムから遠く辺境の地ガリラヤで。貧しい病人や苦しむ人に向かって福音を語る。それはイザヤの預言を受け止めて、「貧しい人に良き知らせを、捕われた人に自由を、つながれた人に解放を告知するために」と神の心を示すためです。悪霊に苦しむ者を解放し、病気を患う者を癒す、イエスは「わたしは宣教する。このために出てきた」と貧しい者を前に自らの志を明らかにします。

聖書における霊の捉え方、特に聖霊と悪霊との違いをどう受け止めるのか。イエスは悪霊を追い出したと癒しの様子を語ります。解放される、自由となることがどういうことなのか、そんな問いかけが生ずるのであります。

イエスは、「癒やす」「奇跡を起こす」とか、「回復する」ことを通して、病いからから解放する。この時、解放されたものはどう変えられていくのでしょうか。聖書は、生きている方に「イエスの側で生きる者」とされ、神の霊(聖霊)に生きる者となると言います。

イエスは「私が宣教する。そのために私は出てきた。」と言います。このイエスの姿勢は「神の恵みに与かる者にする」というイエスの積極さを見ます。この積極さとイエスの姿勢、目線は福音が目指すところを暗示します。

「真理を知り、真理はあなたがたを自由にする」とイエスは約束しますが、この世の束縛から解放された世界が、イエスの描く約束の世界だとすると、神の前にあって自由であることの大切さを知らされます。イエスの癒し、イエスの罪の赦しは「自由へのイエスの証印」とも言え、この一言によって、多くの人がどんなにか慰められたのではないでしょうか。

主任担当教師 井上 勇一