6月12日(聖霊降臨節第2主日) 説教要約

説教題「神のこころに適う」

聖書:マルコによる福音書 第1章9〜11節

本日の聖書箇所は、イエスがバプテスマを受ける場面です。マルコはその様子を短く記しています。「預言者ヨハネからヨルダン川で洗礼を受けたこと」、「天からハトのようなものが降り、これはわたしの愛する子」と言う祝福に与かったことを記しています。このイエスがバプテスマを受けることをルカによる福音書、マタイによる福音書も記していますが、ヨハネによる福音書はイエスがバプテスマを受けたと記していません。福音書の書き方の違いを見ます。

預言者ヨハネは、イエスの登場前に「悔い改め運動」を展開し、悔い改めた証拠として「バプテスマ」を受け新しく生きるしるしとしました。聖書にはイエスのグループもバプテスマを授ける活動をしたことが書かれています。使徒言行録にはヨハネの水によるバプテスマではなく、イエスのバプテスマは、聖霊によるものと強調し、バプテスマを受け直したことを記しています。

聖書が描くバプテスマ運動は、ヨハネの場合も盛んに行われたと言われます。既存の律法主義と神殿礼拝による神への信仰が世俗化し、犠牲のしるしである動物の供儀が商業化し、形骸化した反動のように、神信仰への回帰として、民衆の支持を受けるのであります。

ただ、イエス自身がバプテスマを受ける、このことはイエスの福音において、重要な行為となって示されています。それは、自らを罪の元に置くという行為となり、そのイエスが十字架に死して、復活を遂げる中で、罪の元にある人が神の福音によって、復活の命を与かることができると、その救いの道を示したと理解できるのです。人の子が神の福音を受けた時、それが復活の出来事手でした。イエスがバプテスマを受けることで、救いの事実を一層明確にしたと言えるのです。

主任担当教師 井上 勇一