2月13日(降誕節第8主日) 説教要約
説教題「種がみのる場」
聖書:マルコによる福音書 第4章1〜9節、13〜20節
福音の種が蒔かれる。今日の聖書はその福音を受ける側の「場」が語られます。この場は私たち人のこころを指します。私たちは、神の前にとも言えるのですが、道端のような心、石地のような畑、いばらが茂る畑のような心で神の前に立たされ、神の言葉を前にその受け止め方が明らかにされます。
聖書は、神の言葉をどう受け止めるかを語ります。「道端に落ちた種」は、「み言葉を聞くには聞くが、すぐに忘れてしまうような人」と語り、「石地に蒔かれた種」は「神の言葉を受け止めるが、自分に艱難が降りかかるとつまづく人」を指すとのこと。「茨がある場に蒔かれた種」は「神の言葉を大切に受け止めるが、患いや誘惑に負けてしまい、神の言葉に蓋をしてしまう人」であると言います。
人のこころの場、その譬えはは誰もが身に覚えがあることですが、最後に「よい地に落ちた種は、30倍100倍の豊かな実を結ぶ」と言います。また、種をまく人は畑の中に蒔くように注意を払いながら蒔くのです。しかも蒔く者は、どんな種も30倍、100倍の倍の実を結ぶようにようにと、願い種を蒔くとなると、畑そのものは多くの実が結ぶようにあることがわかります。すると、いばらが這う畑、石地の畑、畝の広い畑にしたのは、私たち自身の心がけの問題としてあることがわかります。
畑は「耕す」ことでよい地となります。神の言葉を聞くよい地とはどういうことか、考えさせられます。日々、神の言葉に親しむ、祈りを捧げる、熱心に信仰生活をする。このような信仰行為によって「よい畑」になるのでしょうか。「信、望。愛」という言葉があります。この中で最も大いなるものは「愛」とイエスは教えます。
主任担任教師 井上 勇一