2023年7月9日(聖霊降臨節第7主日) 説教要約
説教題「生きている者の神」
聖書:ルカによる福音書 第7章11〜17節
ナインという町での奇跡、これが今日のみ言葉であります。ある婦人が一人息子を失います。イエスの一行はその場所にぶつかり、棺が運び出されているところに出くわします。婦人は寡婦であり、大切な一人息子を亡くしてしまいました。町の者も悲しみ、大勢付き添っていました。イエスは憐れに思い、「もう泣くな」と言い、棺に手をおき、「若者よ、起きなさい」と奇跡を起こします。若者は再び生きた者とされ、婦人にも希望が戻るのです。
婦人は家族の再興を息子に賭け、大事に育ててきました。しかし、息子は死んでしまった。家族の再興も、愛した息子を失い、生きる力・希望を失った光景、それが町の大勢の者が付き添うことで、「悲しみ」が描かれています。イエスは、憐れに思い、この女性に係わります。「もう泣かなくてよい」と語りかけ、「若者よ、起きなさい」と奇跡を起こす。最後にイエスは若者を母親に返したとありますが、絶望から希望へと回復が起こるのであります。
ルカによる福音書10:38に「神は死んだ者の神ではない。生きている者の神だ」とありますが、イエスは希望を失い、絶望の内にあるものを回復させ、希望に生きることの幸いを願う神を、イエスは「生かす」ことで明らかにします。この神の徹底して私たちを生かそうとされるのが、わが子を犠牲にしても、私たちを生かそうとされる神の意思でした(イエスの死と復活)。パウロは、この神に生かされる私たちを「神の愛が私たちに注がれている」からというのです(ローマへの信徒の手紙5:5)。
神の愛が注がれているから「私たちを生かす」神があると、しかもその神は御子イエスを犠牲に捧げても生かそうとされるとなれば、私は「神のもとに帰る」努力が求められているように思うのです。
主任担当教師 井上 勇一