2026年4月19日(復活節第3主日) 説教要約

説教題「羊の囲い」

聖書:ヨハネによる福音書 第10章第7〜18節

9章には、生まれつき目の見えなかった人がイエスによって癒される出来事が記されています。彼はイエスの言葉に従い、「シロアムの池」で洗って目が見えるようになりました。しかしこの出来事は安息日のことであったため、ファリサイ派の人々はこれを問題とし、癒やされた人に問いました。癒やされた人はイエスが神のもとから来た方であると、その仰を恐れずに告白しましたが、そのことが理由で癒やされた人は会堂の外に追い出されてしまったのであります。

イエスは、その人が外に追い出されたことを聞き、彼に出会います。そして、そこに居合わせたファリサイ派の人々にも向かって、羊飼いと羊のたとえを語りました。「わたしは羊の門である」と言い、羊が囲いを出入りしながら、昼も夜も、羊飼いと共にあって、命を養う姿を語ったのです。また「わたしは良い羊飼いである」と言い、通常は羊飼いが羊を飼うのは、羊の毛を取ったり、最後には食肉として用いたりするためであるのに、イエスはそうではなくて、むしろ羊のために命を捨てる羊飼いであるということを説きました。

旧約聖書において羊飼いは神のイメージでありますから、この言葉はファリサイ派の人々にとって受け入れがたいものでありました。イエスは続けて、この囲いに入っていない羊もいて、その羊をも導かなければならないと語ります。囲いに入っていない羊とは、イエスを信じていない人々を指しますが、それと同時に、時々神の声を聞くことが難しく、神から離れてしまうことがある私たちの姿をも指しているのです。それでも神は、そのような者を外に追い出し、見捨てることはされません。むしろ、「その羊もわたしの声を聞き分ける」ことを信じて、探し、導こうとしてくださるのです。
ここに、広く全ての人に望みをかけ、外にいる者をも導こうとする神の大らかな愛が示されているのです。

担当教師 吉居 美緒