2026年7月12日(聖霊降臨節第8主日) 説教要約
説教題「信仰を表現する」
聖書:マルコによる福音書 第8章第22〜30節
復活のキリストは、弟子に向かって「見たから信じたのか、見ないで信ずる者になれ」と勧めますが、キリストの弟子たちが信仰に目覚めるのは、イエスと共に生きる中でした。イエスの福音宣教のなかで、神の子の姿に触れます。初めは預言者として受け止め、次第に預言者を超えた行動に触れる中で、ペテロは「メシアです」と告白します。ただ、弟子たちがメシアと信ずるに至るのは、復活の主との出会いでありました。弟子トマスの前に現れたイエスによって、「見て信ずる者ではなく、見ないで信ずるものになる」弟子が生まれるのです。
イエスは何故に信仰の在り様を語るのか、そこにはキリスト信仰の奥義を示すイエスがあると受け止めることができます。パウロはキリスト信仰の在り様を「望んでいる事柄を確言し、見えない事実を確認すること」(ヘブライ人への手紙11:1)といいますが、望んでいる事柄は、神による約束が実現することであり、見えない事実とは、神の世界に憩うことであります。この希望を見ることができない私は、心のうちに描き出すしかない。信ずること、祈ることをもって達成される信仰の世界と言えましょう。
また、パウロはこうも言いいます「人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われる」と。信仰の世界は、「我と汝」との関係で成り立つ世界であり、応答関係が生まれることで神との関係が成り立つといいます。神という創造者、全能者を前に、その真理を受け止めるのは、「我」という個、つまり私であります。壮大な神の世界を小さな器の私が受けとめるが、この小さな器で在る私の心の世界の拡がりは、神の世界の一部でも受け入れることを可能とするのです。イエスが示した「神の愛」とか、私たちが理解するのはその一部かもしれませんが、それを良しとする。そうして、神との関係が深まり、救いの確信が増すのではないでしょうか。
主任担任教師 井上 勇一
