2026年7月5日(聖霊降臨節第7主日) 説教要約

説教題「福音というパン種」

聖書:マルコによる福音書 第8章第14〜21節

聖書の民は、2つのパンを求めて生きました。日曜の糧であるパンを求める。もう一つは信仰のパンを求めての生き方であります。日曜の糧であるパンはパン種をいれ発酵させて焼くのが一般的で、聖書も「パン種」を譬えてイエスの生進を語るのであります。イスラエルの民が年に1度、種を入れないパンを焼く時があります。過ぎ越しの時です(出エジプト12:39)。民は種なしのパンを食べることで、民の原点を振り返り、神の前に生きる己を見つめるのです。

本日の聖書では、イエスは「ヘロデのパン種に気をつけろ」と言い、「パリサイ派のパン種に気をつけろ」といいます。このイエスのパン種に対して、ヘロデのパン種、パリサイ派のパン種とは対立的に描きます。ヘロデのパン種は「人の栄誉、繁栄を膨らませて」自己中心の心を養い、不仰を育てる。パリサイ派のパン種は律法主義を増長させ、形式を尊び、偽善を生じさせると言うのです。それではイエスのパン種は「信仰によって義とする道を備え、平和へと導き、神の栄光に与かる希望を強くする。そして苦難を前にしても、忍耐と練達をもって希望へと導いていく」というのです。(ローマ 5:1〜5)

私たちが神の前に生きていく時、それは同時にパリサイ派のパン種、ヘロデのパン種をも前に生きているのです。しかもある者は、ヘロデのパン種を求め、パリサイ派のパン種を求めてしまう。それが人の生き方と言えます。イエスが「気をつけろ」と言う時、わたしは何を求めて神の前に生きようとしているのか、それが問われるのです。イエスが宜数を始める前、荒野での誘惑をうけます。イエスは一つ一つを選び、己を整えて福音宜数を開始します。ただ、私たちは生きる中でその都度、選択の決断を迫られ、主を信ずる道を整えていくのだと思うのです。

主任担任教師 井上 勇一