2026年6月21日(聖霊降臨節第5主日) 説教要約

説教題「故郷でのイエスの宣教」

聖書:マルコによる福音書 第6章第1〜13節

聖書箇所は、イエスの郷里伝道とイエスの宣教派遣の物語です。イエスは生まれ故郷ナザレで福音を語ります。するとナザレの人はイエスの権威ある話に驚き、イエスの少年の頃の様子や家柄を掘り起こしつつ、イエスの福音には関心がありませんでした。イエスは人を癒やすことをせず、「故郷では預言者は敬われない」と、彼らの不信仰を嘆くのです。

そして、弟子の宣教派遣の指示が為されます。二人一組になり、彼らに霊を追い出す権威を与えるものの、無所有、無報酬をもって、ただ、福音を語ることを求めるのです。

この二つの物語をみると、そこには神による救いの側面と人の神を求める側面をみることができます。神はこよなく人を愛し、すべての者を神の元へと引き寄せ、神の命に生きる者にしたいという願い、その神の姿があります。しかし、神はその者に「救いに与りたい」という意識がなければ、無理に救いに導きたいと考えてはいないのです。あくまでも本人の意志によるという側面です。もう一つの側面は人の意識と言う側面です。神の子であるイエスを「幼子時代を知るものは、神の子として受け止めることもできず、神の意思を受け止めることができない」と言います。一旦、心に受け止めたこと、「神の子」が現れたことを受け止めることができないという人の側面です。

神の願いと人の願いとの側面との違い、この違いをどう埋めるのか、その決断を人の側に委ねる、それが神の姿勢と受け止められます。イエスは「わたしを信じなくても、私の業を信じろ」と勧め、「神を求めること」を為せと勧めます。このイエスの願いを前に、「あなたはどうするのか」と問うイエスがあります。この時、わたしに求められるのは何か、 それは、神の前にあるわたしの素直さではないでしょうか。

主任担任教師 井上 勇一