2026年8月23日(聖霊降臨節第14主日) 説教要約

説教題「人の思惑と神の意思」

聖書:マルコによる福音書 第12章第1節〜第12節

本日の聖句「ぶどう園の農夫」の物語、農夫を人とし、農園の主人を神とすると、そこに「人の思惑と神の意思」の相違を考えてます。農夫はぶどうの収穫を独占しようと、主人から送られる僕を次から次へと殺したり傷つけて追い返す。主人は「自分の息子ならば農夫も受け入れてくれる」と信じ、息子を送る。すると農夫は「息子は財産を相続する者」と殺してしまう。財産を自分たちのものにするために。そしてイエスは聞く者に問います、「主人は農夫たちをどうするだろうか」と。

世に生きる者(農夫)は、この人の世界に染まります。そして人と人との関係の中で知恵に染まり、思惑に長け、相手との駆け引きで生きるのです。いわば、神の前に生きていることを忘れてしまう人の姿が現れます。この人の姿は農夫の心として明らかにされます。この人の心は苦難とか栄華とかは全く関係なく、神から離れることで生まれる人の心であるのです。

神はこのような人を3度元に戻すために神の業を為されました。一つは出エジプト、二つ目は捕囚、3度目は救い主の誕生です。出エジプトでは、神の民は430年間エジプトに寄留し、厳しい苦難を強いられました。この苦難の中で、この世の世界に染まる人へと変えられます。出エジプトで脱出の故に飢えた民は「あそこでは肉もありパンもあった。それをたらふく食べた」、飢えに苦しむ境遇を呪うのです。しかし神は「聖なる国民とする」という決断で、約束の地へと導かれるのです。

そして、救い主イエスは神の民とすべく3度目に現れます。それは「捨て石が隅の親石となって」、神の意思を民に明らかにするためでありました。イエスは問います、「主人は農夫にむかってどうするだろうか」と。これが本日の問いです。

主任担任教師 井上 勇一