2026年3月1日(受難節第2主日) 説教要約
説教題「神の前にあるこの世」
聖書:マルコによる福音書 第3章第20〜30節
今日の聖書は「ベルゼブル論争」と言われる箇所です。神の世界を私たちは「この世」から垣間見るしかありませんが、聖書の描く神の世界はこの現実の世界と同様に「霊の世界」が描かれています。しかもこの霊の世界は神の側に立つ「聖霊」と罪の世界に立つ「悪霊」とが存在し、その霊によって人の生き方が影響されると言うのであります。本日は神の創造した世界にあって、人はどう在って、在るべきなのか、考えてみたいと思います。
イエスの福音が向き合い、闘い続けた対象に、「悪霊」があります。冒頭、イエスは荒野での試みに遇います。飢えという誘惑、富という誘惑、権威という誘惑です。イエスはこの悪霊の誘惑に勝利し、神の福音を語る者となります。また、福音を示すイエスは人を悪霊から断ち、病気を癒やします。さらに十字架に付くイエスは、神の前に祈り、死の不安を克服します。言わば、この世の悪霊と闘い、福音を示し、悪霊からの解放し、神の前に生きる自由を獲得する、それが「癒やし」であり、「神の恵み」であるのです。
イエスの12弟子の招集記事があります。イエスが彼らに与えた使命は三つ。イエスを主と信ずること、福音宜数、それに「悪霊を追い出す権能を持たせるため」であったと聖書は語ります。弟子たちへの権威の委譲そのものが、イエスを求める者に委ねる神の恵みと言え、「悪霊からの解放」は神の前に生きる者が、神の真理を知り、この世からの自由を得て、神の前に生き続けることを示します。それが神の願い、福音をこの世に明らかにするイエスなのです。
創世記に「楽園追放」をうけるアダムが描かれますが、イエスによって示された福音は、人が楽園へ再帰還を促す「しるし」として受け止められます。イエスは「求めれば、与えられる」といいます。この招きを覚えておきたいのです。
主任担当教師 井上 勇一
