4月24日(復活節第2主日) 説教要約
説教題「復活のキリストから」
聖書:ヨハネによる福音書 第20章19〜29節
復活のイエスは、身近にいた弟子たちの前に現れますが、閉塞した空間、限られた人の前に現れます。(ただ、日常生活の中で現れるのが、ヨハネによる福音書21:1-14、ガリラヤ湖畔)トマスを前に「信ずる者になれ」と勧め(信仰告白)、ペテロには「わたしの羊を養え」と勧め(牧会、修養)、弟子たちには「宣教命令」をします(伝道、宣教)。この復活のイエスの勧めは、教会を元にした「勧め」として受け止められ、主キリストを冠とする教会の始まりと理解できるのです。
ただ、イエスは信仰の基本である「信ずる者なれ」と勧めますが、ここで「何を信じるのか」、「何を」が問題とされます。イエスは「復活の主である」との真実でしょうか。イエスは「神の子である」という真実でしょうか。ただ、この告白をもって主の教会が生まれるかとなれば、「イエスを主とする」信仰は弱く、ユダヤ社会にあって、消滅の憂き目にあったのではと考えられます。
聖書の世界、神と民との関係にあって、民が聖書を貫いて願い続けてきたこと、それは「救い」でありました。イエスは、ヨハネによる福音書14章6節で「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、父のもとへ行くことができない」と勧めます。この約束を復活の主はトマスに向かって「信ずるものとなれ」と勧めているのではないでしょうか。救いの道を示したイエスが復活を通して、信仰の道を示し、真理を示し、新たな命を示したことになる。この約束の元に主の群れが造られ、主の教会が生まれたと言えます。
ただ、教会はペンテコステ(聖霊降臨)をもって教会の誕生といいますが、この真実をどう受け止めたらいいのか、もう一つの捉え方が生まれてきます。
主任担当教師 井上 勇一