2026年3月8日(受難節第3主日) 説教要約
説教題「神の前にあるこの世」
聖書:マルコによる福音書 第8章第27〜33節
イエスが12弟子を集める時、そこには目的がありました。その一つ目が「彼らを自分のそばにおくため」とあります。この「イエスのそばに置く」目的は、イエスを知ることにあります。弟子たちはイエスと共に生活し、イエスの一挙手一投足を見ます。その生活の中から本日のペテロの告白が生まれているとなると、知ることから信仰が育ち、告白が生まれるのです。
ペテロはイエスと共に生きる中で、人を超えた能力・力にふれ、癒しの中に見られる神秘性に触れました。しかも癒された者が自由を回復し、再び神のに生きる力を回復する。この救いのしるしは神による外はないと受け止め、「あなたはメシアです」と告白するのであります。
ただ、ペテロの告白も次の物語では「正される」のです。弟子ペテロが「あなたはメシア」と告白すると、機が熟するように、イエス自身の行く末を明かします、「排斥され、殺され、3日後に復活する」と。このイエスの予告にペテロは「とんでもないこと」とイエスを諌めるのです。するとイエスは「サタン、引き下がれ、あなたは神のことを思わず、人のことを思っている」と一蹴するのです。この後イエスは2度同じことを言います。多分に弟子からの告白を受けて、応答したのでしょう。そして、まもなくして「イエスの予告」が現実になります。すると復活の主は弟子たちに復活した身体を示し、「見ないで信ずる者」となれ、と勧めるのです。
イエスが救い主として「神のしるし」を示し続ける。イエスと共に生きる者は徐々に整えられて、「あなたはメシアです」と告白し続ける。告白は復活の主と出会うことによって確信的な告白になったのではないでしょうか。
主の民キリスト者も「キリストを告白する民」として呼ばれる背景(使徒11:26)には、常日頃「あなたはキリスト・メシアです」と告白する群れであったからと言えるのです。
主任担当教師 井上 勇一
