2026年9月20日(聖霊降臨節第18主日) 説教要約
説教題「主の晩餐にあずかる」
聖書:マルコによる福音書 第14章第12節〜第26節
過ぎ越しの祭りの夕べ、イエスは食事を弟子たちとします。そして、そこでパンとブドウ酒をとって、「これはわたしの肉、これはわたしの流された血」と唱え、共に与かりました。最後の晩餐の光景です。ヨハネはイエスの福音そのものが「神の子羊」の行為とし、福音宣教から十字架の死・復活全体を示すのであります。
出エジプトで為された神の行為「過ぎ越し」は、子羊の血を家の鴨居に塗る行為を指し、塗った血によって、その家の初子を死から救い、災いを過ぎ越すというものでありました。エジプト脱出の道を開いていったのです。
イエスの行為は、この神の子羊としての働きを十字架の死と復活をもって為し、人に死を超えて生きる道を示したのです。ですから、イエスの死は「イエスを求める者には罪から解き放たれ、イスラエルが死から解放されて自由を獲得する」道を開いたことに起因します。
ただ、イエスの「神の子羊」として、イエスの意気込みはどうであったのでしょうか。マルコによる福音書1章14節で「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と宣教を開始します。また最後の晩餐の後、ゲッセマニの祈りをささげた後、「立て、行こう」と言って捕まえる官吏に向かうイエスがあります。いわば十字架に向かうイエスであります。イエスは自らの役目をその度毎に確認し、「神の子羊としての働きを全うした」と言えます。人の子として、神の子羊の目的を果たします。
イエスの「子羊」としての働き、一方でイエスを求める者に寄り添い、癒し、自由にし、罪の縄目から解放し、神の子としてのイメージを持ちますが、その一方、「心は燃えても、肉体は弱い」と、人の子の「弱い」一面を表すイエス。「子羊」の働きが神の導きによっての理解が成り立つのです。
主任担任教師 井上 勇一
