2026年2月15日(降臨節第8主日) 説教要約

説教題「神の描く世界」

聖書:マルコによる福音書 第4章第35〜41節

若い頃は本日の聖句を読むと、真正面からイエスの超越した力によって、荒波を静め、神の子としての一面を示します。
そんなイエスの姿を福音書の記者は描いています。しかし、70歳を大分過ぎた者には、この「波を静めるキリスト」は、もっと別な視点から人を論そうとする物語ではないのか、そう思うのです。

ガリラヤの海は私たちが生きる「この世」を表しています。小舟はそこに乗る弟子たちの「心」を反映した「人」を表しています。
海が荒れ始めると、弟子たちは「船が転覆することを恐れ、己の命を心配する」、しかし、イエスは舟の臓の方で枕して眠っています。弟子たちはイエスに声をかけ「私たちが溺れても構わないのか」とイエスを起こします。するとイエスは波に向かって「黙れ、静まれ」と言います。荒波はすっかり凪となって助かるのです。

このイエスと弟子たちとの間をみると、イエスと弟子たちとの生きる視点の違いを見ることができます。ローマの信徒への手紙14章7節以下に「私たちは生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬ」との御言葉がありますが、「視点の違い」は、ここにあるのではないでしょうか。詩編90篇の記者は、「私たちの生進はみ怒りに消え去り、人生はため息のように消え去る」といいますが、今この歳を前に日々を重ねていると、この世のことに追われ、この世にしがみつけばしがみつくほど、人の生は「ため息のような存在」であると感じるのです。

パウロの言葉「生きるとすれば主のために生きる。死ぬとすれば主のために死ぬ。」この信仰に立てと、「荒海の小舟の中で眠る」イエスは言っているのです。私たちはイエス・キリストを主と信じて信仰の歩みを重ねます。それは、主との絆を強く、太くする歩みです。生進にわたってこの歩むを重ねるならば、神は必ずやその歩みを願みて下さる、そう信じたいのです。

主任担当教師 井上 勇一