2026年9月13日(聖霊降臨節第17主日) 説教要約
説教題「香油を頭に注ぐ」
聖書:マルコによる福音書 第14章第1節〜第9節
「人の子イエス」が副題である。イエスは自らを罪の元に置き、 生涯、苦難に向かい合いました。それが人の子イエスではなかったのでしょうか。私たちは「人の苦しみに対しては鈍感である」、一時の「共感」は生まれても、それが持続することなく、忘れてしまいます。イエスはこの苦しみにも真正面から向い合い、向い会うから故に「共感」し、奇跡を起こし、人の癒しが生まれ、苦しみからの解放が生まれます。また、自らを十字架につける者を前にして「何も知らないから」と執り成しの祈りを捧げるイエスがあります。そして、最後に苦しみの末に死を遂げるのです。
今日の聖書は「死を前にしたイエスに香油をぬるマリア」の物語であります。マリアは高価な香油をイエスの頭に注ぐ、イエスは「弔いの用意」をしてくれたと言い、甘んじて受けます。そしてこの後イエスは「ゲッセマニにて祈り」を捧げます。「この杯を取り除けてほしい」と祈ります。「人の子」として、死を前にした「苦難の叫び」であります。この苦難を察するマリアはイエスの苦難に共感し、「高価なナルドの香油」をイエスの頭に注ぐのであります。
苦難を真正面から受け止め、苦しむイエス。この苦しみは イエスの復活を導く前提としてあります。言わばこのイエスの苦難があって、イエスの復活が開かれ、その恵みに与かる私たちの信仰があります。この救いの在り様を知ったのがマリアではなかったのでしょうか。マリアはイエスと共に歩んだ方でありました。イエスに癒され、喜びに満たされた人、イエスの奇跡に与かり自由にされた人、その背後にはイエスの担う苦難。このイエスの姿を知ったマリア、自然の行為として「香油を注ぐ」マリアがあったのです。
マリアはイエスの死の後に起こること、そのことを予期して「香油」をぬる行動をおこしました。ヨハネによる福音書14章6節「わたしは道であり、真理であり、命である」ことを知った者と言えるのです。
主任担任教師 井上 勇一
